野上弥生子 Nogami Yaeko Meiji 35, Showa 25 a letter to Abe couple 800px

私が私淑してやまない野上弥生子。去年の冬に全集を揃えてから毎日必ず手にとってはちょこちょこ読んでいる。でも全部を読みきるまでの道のりは長い。なにしろI期II期と合わせて五十七巻にもわたるのだ。彼女の書くものは小説であれ随筆であれ、書簡であれ日記であれ、何であっても滋味にあふれている。弥生子には日々たくさんのことを学ばせてもらっている。

更新日:2022年9月28日

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野上弥生子の日記について

野上弥生子の日記は、明晰で率直な意見がずばずば書かれており、読んでいて気持ちがいい。あほなやつはあほ、できんやつはできん、でも優れている人物には敬意と嘆賞の言葉を惜しまない。弥生子というひとは「ほんもの」を見分けられる卓越した審美眼を持ち合わせた純真な芸術家であった。

日記のエントリーから気に入った部分を紹介していこう。

中央公論の新年号をよんで見る。白鳥例の通りのもの、つまらない。
豊島、例の下手な拵へもの。下らないものだ。
武者小路。あの人の持ち味だけは出ているが、矢張りたいしたものではない。しかし書きなぐりでも彼の本領をひらめかしている点はさすがである。ただ彼みたいな人間がなんでそんなにラン作をするかとおもふと分からない。彼も矢張り一種のバカになりつつあるのだと思ふ。
志賀にも失望。どこがミソなのか分からない。大げさな前ぶれで、久しぶりの執筆でといふからどんなものかとおもふと、これではダメだ。よせばよいのにとおもふ。地方まわりの文士におかされた妻を怒りもにくみもしないでただ憐れむといふこのこころもちになるまでのプロセスがはっきりしない。ひとりのみ込みである。
長与も拵へもの、それもマヅイ拵へもの。この人のはいつでもナイーヴなところがない。拵へものたる点は豊島と同じだ。しかしただ取り柄は豊島ほどぼやけていないところだけである。
菊池のはよくまとまっているが、しかしソガのや式の低級なものだ。浅草の春芝居にやるとよい。
佐藤春夫のはキザと一人よがり。彼の持つ最もイヤな弱点の出たもの。
芥川のはさすがに一番よくまとまっている。

(手帖)

 

♦ ♦ ♦

<参考>

『中央公論』1924(大正13)年新年号
「他人の災難」正宗白鳥
「或る男の手記」豊島与志雄
「だるま」武者小路実篤
「雨蛙」志賀直哉
「或る社会主義者」長与善郎
「震災余譚」菊池寛
「退屈問答」佐藤春夫
「糸女覚書」芥川龍之介

『野上弥生子全集 第II 第1巻』岩波書店,1986, p.32-33

昨夜藤村の改造に出しているのをよんで見た。表現にいかにも苦心して、よその人の云うやうなこと、もしくばかきそうなかき方は一句もしまいと用心しているような描き方をしている。しかしただそれだけで盛られた内容は案外つまらないーーと云うよりはプーアなものである。
中公来る。今度のは余りつまらなかった。しかし他の諸君のもあまりよくないらしい。よんだ中では矢張り芥川氏のものが一番立派である。あの男は小さいながらとにかく芸術家だとおもふ。

(大正13年3月27日)

 

♦ ♦ ♦

<参考>

『改造』
「三人」島崎藤村
「お加代」野上弥生子
「少年」芥川龍之介

『野上弥生子全集 第II 第1巻』岩波書店,1986, p.129

中条さんから長い手紙。エスキロスをよんだについてかいて来た。あの人はとにかく一見識を持ち敏感にすべてを批評し消化しようとしている態度はほんとうにたのもしい。
中央公論にはあの人のいつかの話の陶器の一件をかいたものが出ている。先ず渾然と行っている。
(中略)
芥川氏の子供の頃のことをかいたものが出ている。おもしろい。内田さんのよりずっと旨い。文字に鋭い神経がある。内田さんは文字の使い方がいかにも幼く古い。

(大正13年4月27日)

 

♦ ♦ ♦

<参考>

『中央公論』
「伊太利亜の古陶」中条百合子
「続少年」芥川龍之介

『野上弥生子全集 第II 第1巻』岩波書店,1986, p.141

今日までまた日記をつけなかった。おぼえていることは二十一日夜内田百閒が生徒の菊島を連れて夕飯をたべに来たことである。さざえとハムを持って来た。内田さんといふ人間は敏感でもあり中々頭のきく人とおもふが、どうも知識的でない。いい気にお山の大将ーーそれも自分の自由になるハンイでのーーを気取る方らしい。ただ小西さんほどゲサクでないから我慢される。

(中略)

一二日中に改造の新年号が出た。みんなのをよんで見た。それぞれみんな念の入った作が多かった。愚なのは白鳥と寛と久米である。白鳥なんぞあまりひどいとおもふ。この頃世間の評判はひどくよいやうだし、実際あの人の世界はちょっと他人ののぞけぬすごい世界であることも事実だが、これはあまりである。投げやりもほどがある。
菊池もこれではいよいよおしまひといふ気がする。久米に至っては、よくこれで人中にかほをさらして歩けるとおもふ。夏目家の例の事件の何十度目かのむし返しである。
中条さんのはあの人らしい世界と見方と感情だけは十分に描かれている。文章も上手になった。しかし性格の描写はなんにもない。白樺前期の恋愛告白小説にならないやうに気をつけることが必要とおもふ。

(大正13年12月23日)

 

♦ ♦ ♦

<参考>

『改造』新年号
「太った女」正宗白鳥
「妻」菊池寛
「墓参」久米正雄
「揺るる樹々」中条百合子
「見残した夢」宇野浩二
「ひと秋の場面」犬養健
「時計のいたづら」佐藤春夫
「マンドリンを弾く男」谷崎潤一郎
「冬の往来」志賀直哉

『野上弥生子全集 第II 第1巻』岩波書店,1986, p.164

夜はカーマ・シュトラをよんでしまって、今度はファーブルをよんだ。カーマ・シュトラは、殊にその娼婦篇はなんといふ精密な心理描写だらう。斯うなると単なる教科書ではなく立派な芸術である。
ファーブルはフランスらしい簡潔さで要領をつかんで行くところ独特である。これこそ子供と共に大人もたのしんでよめる。この頃は実に何でも気もちよく読める。斯んな調子で二三年書物ばかりよんでいたら、何でも知ることが出来るだらう。

(大正14年2月3日)

『野上弥生子全集 第II 第1巻』岩波書店,1986, p.184

イバニエスの短篇集をよんだ。訳者は永田といふ外語のスペイン語の助教授である。今度岩波からドン・キホオテを訳させようかといふので、その文章を試験的に見るわけである。ゴマカシのない忠実な訳らしい。しかし消化し方はまだ十分とは云はれない。会話も地の文も素人臭い。厭味のないのがとりえだと云えば云はれもしようが、それでもときどき変な通がった文句を使はうとしているのが苦笑させる。
文芸上の価値から云へば、大したものではなさそうにおもへる。どうかしたらもっと旨く行きさうなところがどうも半端な気がする。マッシーヴではあるが、さりとてロシヤのもののやうな魂の底に食ひ入るほどの力も深刻味もない、同時にまたフランス風な洒脱な気のきいた点も欠けている。かほは美しいが変に野暮ったい下品な作りの女を見るやうな気がする。

(大正14年2月8日)

『野上弥生子全集 第II 第1巻』岩波書店,1986, p.186

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