Yaeko Nogami 野上弥生子

野上弥生子は私が心から敬愛する作家である。人間として、とてもよく出来た人である。知性、感性、人生に対する慎ましやかな態度——何をとってみても、弥生子ほど立派な人はいないと思うし、自分の人生を考えるとき「弥生子のような人になりたい、こんな生き方をしたい」と願うのだ。

さて、私がここまで崇拝している偉大なる文化人・野上弥生子について書いていこう。

(更新日:2022年2月14日)

野上弥生子 Nogami Yaeko 秀吉と利休 Hideyoshi and Rikyu

野上弥生子は1885年(明治18)5月6日、大分県臼杵町の酒造家の長女として生まれた。明治政府が発足されてから20年がもうすぐ過ぎようとする頃——新政府が中央集権制の近代国家を目指そうと、西欧の近代的な思想や制度を急進的に導入した時期だ。1889年(明治22)には大日本帝国憲法が発布され、翌年の1890年に第1回帝国議会が開かれた。

1900年(明治33)15歳のとき弥生子は東京の明治女学校に入学する。このいきさつは「その頃の思い出—師友のひとびと」という随筆や未完に終わった長編小説『森』に詳しく書かれている。6年間この学校に学び高等科を卒業すると、夏目漱石の門下生の野上豊一郎と若干21歳で結婚する。豊一郎は東大の英文科在学中で弥生子とは同郷であった。その翌年の1907年(明治40)に第二作目の「縁」が、漱石の推薦で高浜虚子の雑誌「ホトトギス」に掲載されると、これを機に弥生子の約80年に及ぶ長い文筆活動が始まる。

弥生子のことを知るのに資料となる文献はたくさんある。特に『野上弥生子全集』を編纂された瀬沼茂樹氏の文章はとても参考になるし、ほかにも弥生子本人が直々書き溜めた日記や、いろいろな著名人との書簡のやりとりなどが『野上弥生子全集』で読むことができる。この日記は1937年(大正12)7月31日から1985年(昭和60)の3月13日まで48年間分がみっちり収録されており、弥生子信者にとってまさに宝といっていいほどである。

書簡のやりとりといえば、晩年に哲学者の田辺元との往復書簡を収録した『田辺元・野上弥生子往復書簡』は読み応えがあってお薦めだ。65歳を過ぎた文学者と哲学者の知的なやりとり——本書の解説を書いた加賀乙彦は、この二人の厚情をうまいこと「老いらくの恋」と銘打っている。田辺のことを先生と呼ぶ弥生子と、弥生子の好学に慰励される田辺。両者から美しい師弟愛のような尊厳なる愛情が感じ取れる。

またおもしろいのは対談・座談録だ。これも全集に収録されているのだが、実に様々な人と対談をしている。文化人から報道記者、さらにはエレノア・ルーズベルト夫人やドナルド・キーンなんかとも語り合っている。なかでも嬉しかったのは、平野謙との語り——平野は1946年に太宰治や坂口安吾、織田作之助とも座談会をしている戦後文学の評論家で、弥生子とは大作『迷路』をめぐって読者代表としてあれこれ興味深い質問を投げかけている。

そして奥野健男——彼もまた太宰治や坂口安吾などに関する論文をたくさん書いてきた人で、太宰の『走れメロス』や『きりぎりす』(ともに新潮文庫)の解説を書いている。奥野とは「緑陰閑話」という題で文学や文学者について自由闊達に語り合っている。おもしろいので少し参考まで。(1974年6月20日、第三文明社発行の奥野健男著『女流作家論』にも収められている。)

野上:(前略)ところが幸か不幸かわたしが長生きするものだから、学生時代のときからのことを書いておいたらよかろうと申されるんですけどね。

奥野:ぜひ書いていただきたいですね。

野上:ところが奥野さん、自叙伝っていうものは……。マリ・バシュキルツェフをご存じでしょ。(中略)彼女がその序文に書いているんです。自叙伝というものは、みんな人には見せないようなポーズをしていながら、ほんとうは誰かが読むということを意識して書く。

奥野:そりゃもちろんそうだと思います。

野上:わたしはだれかにちゃんと読ませることをはじめに意識して書く。だから、うそは書かない。彼女はそう言っているんです。いい言葉でしょ。(中略)自叙伝はやっぱり林芙美子さんとか、ああいうふうな波瀾の多い生活をした女の人のものがおもしろいでしょうけれどね。わたしみたいに、どうやら食べてこられて、どうやら苦労なしですごした人間の自叙伝なんていっこうにおもしろいはずのものじゃない。

奥野:(前略)他人のプライバシーまで冒して書けないとは、有島武郎も「星座」で、そういうことを悩んでいますね。

野上:トルストイなんかでも、それはあるらしいですね。私小説なんか、太宰さんのように徹底してたらいいけれど、どうしても「わたし」が一番かわいがって書かれる人になるんじゃないでしょうかね。どんなに悪人ぶっても、どこかお点が甘くて……。

奥野:そこがおもしろいところかもしれない、葛西(善蔵)さんなんてとくに、自分が加害者なのに、被害者みたいに書いています。ぼくは太宰とか坂口(安吾)とか、破滅的な作家が好きなんですけど、太宰になると私小説じゃないと思うんです。

野上:ええ、あれは違いますね。私小説っていうと、葛西さんなんかが頂点にいくんじゃないですか。

奥野:嘉村磯多なんて人がいますけれど。……戦後の小説家ではだれがおもしろいですか。

野上:どれでも、よくできているものはだれのものでもおもしろいし、十書いて十みんな傑作ってわけにはいきませんからね。……まあ、ご自分を大事にして、これだけは書きたいと思うことだけ書いてくださるといいなあと思いますね。

奥野:三島由紀夫さんのものなんかお読みになりましたか。

野上:あの人のもの、わりあいに読んでね。わたくし、三島さんに直接悪口を言ったこともあるんですけど、あなた、「金閣寺」なんかどうお思いになります?

奥野:僕は三島さんのもの好きですけど、「金閣寺」はあんまり、彼の美学どうりで、つくりものすぎる気がします。

野上:わたしはね、あれで終わるというのは、ほうとうに大事なことを書き忘れていると思うんです。わたしはそれを三島さんに言ったんですけどね。金閣寺を焼くことで、自分のイメージをすっかり焼失しようとして、主人公は結局それに成功しているわけじゃありませんか。牢屋にはいって。しかし、それじゃ、わたしとしてはまだうそだと思うのよ、ほんとに消してしまったはずのものが、消したあとになおいっそう明瞭にあらわれる——そこまで書けたらね、「金閣寺」がほんとうにいいものになると思うの。そこまで書き込んでないでしょ。だからやっぱり、一つの新聞の事件をうまく美文化したにすぎない、わたしはそう思っているんですの。

対談・座談の相手は、他にも宮本百合子、網野菊、竹西寛子、大江健三郎、谷川俊太郎、本田勝一…等、豪華なラインナップで野上文学を味わうのにプラスになること間違いない。これらは今後ゆっくり紹介していけたらと思う。

野上弥生子の魅力は、ひとつには謙虚さに包まれながらもしっかりと存在する芯の強さと、幼い頃からの習慣的な修練によって得られた教養の深さだと思う。「才媛」という言葉は彼女のためにあるようなもので、小学生の頃から有名な国文学者のもとで古典と四書を学び、英語やドイツ語などの勉強も人生を通してたくさんしている。でも知識をひけらかすのでなく、温かい愛情で誠実な文章を書く。弥生子の書くものを読むと、そのはしばしにうかがえる彼女の心の温かさ、おもいやりの心、考えの柔軟さが伝わってくる。

文筆活動を始めた1907年(明治40)から歿年1985年(昭和60)まで、78年間ずっと現役で、叡智あふれる美しい文章を書き続けた文学者・野上弥生子。創作活動は一般向け小説のみにおよばず、児童向け、また戯曲や紀行文、評論、随筆、訳書など多方面にわたる。1980年に刊行が開始された『野上弥生子全集』は第1期・2期をあわせ全57冊に及び、代表品は『海神丸』『真知子』『迷路』『秀吉と利休』など。どれも日本文学にかけがえのない不朽の名作である。主な訳書はトマス・バルフィンチ『伝説の時代—神と英雄の物語』、ヨハンナ・スピリ『アルプスの山の娘』などで、1913年(大正2)に尚文堂から刊行された『伝説の時代』の序文は大文豪・夏目漱石によって書かれている。漱石は妻であり母である弥生子の8ヶ月の翻訳の労苦をいたわり、誠実で着実な仕事ぶりとその忍耐を褒め称えている。

私はあなたが家事の暇を偸んで『伝説の時代』をとうとう仕舞迄訳し上げた忍耐と努力に少なからず感服して居ります。(中略)況して一行毎に訳して行くとなったら、それを専業にする男の手でもさう容易くは出来ません。況して夫の世話をしたり子供の面倒を見たり弟の出入に気を配ったりする間に遣る家庭的な婦人の仕業としては全くの重荷に相違ありません。あなたは前後八ヶ月の日子を費やして思ひ立った翻訳を成就したと云って寧ろ其長きに驚かれるやうだが、私は却って其迅速なのに感服したいのです。

(漱石全集『評論・雑篇』より)

月報3『野上弥生子全集 第2巻』岩波書店,1980, p.8

交流のあった人は夏目漱石をはじめ芥川龍之介、中勘助、田辺元、宮本百合子など大物を含めて実に多種多様だ。その様子は随筆や日記でうかがえるのでこれから紹介していけると思うと楽しみでしかたない。

微力ながらも弥生子の魅力をここで十分に発信できるよう本ページの制作に精を出していきたい。

野上弥生子年譜

参考文献:野上弥生子著『野上弥生子全集 第1~23巻・別巻I~III』 岩波書店, 1980-1982

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1885

明治18年5月6日、大分県臼杵町の酒造家の長女として生まれる。本名:小手川ヤヱ。実家は臼杵町屈指の資産家であった。

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1900

明治33年、15歳。上京し明治女学校に入学する。

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1906

明治39年、21歳。野上豊一郎と結婚。

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1907

明治40年、第二作目の「縁」が、夏目漱石の推薦で「ホトトギス」に掲載される。

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1910

明治43年、25歳。長男・素一を出産。

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1913

大正2年7月、翻訳『伝説の時代』を刊行する。9月、次男・茂吉郎を出産。

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1914

大正3年、父・小手川角三郎が郷里で亡くなる。

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1915

大正4年、上京してから世話になっていた叔父・小手川豊次郎が東京で亡くなる。

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1918

大正7年、33歳。三男・耀三を出産。

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1922

大正11年9月、『中央公論』に「海神丸」を発表する。

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1928

昭和3年8月、『改造』で「真知子」の連載を開始する。最終回は1930年(昭和5)12月『中央公論』に掲載。

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1936-37

昭和11年11月、長篇「迷路」の第1部となる作品を「黒い行列」という題名で『中央公論』に発表する。次いで翌年に第2部を「迷路」として発表するが、日本の社会情勢が変わり、それ以降書き続けることを断念せざるを得なくなる。

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1938

昭和13年、夫の豊一郎と1年間欧米各地を旅行する。

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1944

昭和19年、59歳。浅間高原・北軽井沢の山荘に疎開。

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1948

昭和23年8月、日本芸術院会員になる。9月、疎開先から東京世田谷成城に戻る。

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1949

昭和24年1月、中絶していた「迷路」続編の連載を『世界』で始める。1956年(昭和31)10月まで同誌に発表し、第6部をもって完結する。

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1950

昭和25年、夫・豊一郎が急逝する。

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1957

昭和32年、72歳。「迷路」により第9回読売文学賞の小説賞を受賞する。6月、中国を旅行する。

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1962

昭和37年1月、「秀吉と利休」の連載を『中央公論』で始める。

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1964

昭和39年、79歳。「秀吉と利休」により第3回女流文学賞を受賞。

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1971

昭和46年、文化勲章を受賞する。

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1972

昭和47年5月、「森」の連載を『新潮』で開始する。

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1981

昭和56年、96歳。『野上弥生子全集』にいたる現代文学への貢献に対し第51回朝日賞を受賞。

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1984

昭和59年5月、東京会館にて白寿の祝を受ける。

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1985

昭和60年3月30日、100歳の誕生日をまえに大往生を遂げる。6月、「森」の「春雷(承前)」と未定稿が遺稿として『新潮』に掲載される。

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