Metamorphosis, F. Kafka, Maplopo

この物語を読むことになったのは、ご近所にお住まいの北川尚さんが岩波文庫『変身・断食芸人』と北川さんの大学院在籍中の論文「フランツ・カフカ『変身』について—ビーバースの家族システム論に基づく作品解釈の試み—」を贈呈してくださったからである。カフカ文学に造詣の深い北川さんは、ドイツ・ハンブルグ出身のサラさんとご結婚され、関西圏の大学でドイツ語を教えておられる。犬の散歩やこれまた近所のお好み焼屋さんのご夫妻を通してお知り合いになった方だ。

「変身」は不可解でありながらも、心に残る実に興味深い話で、北川さんの見解がこの物語をより豊かなものにしてくれた。話は主人公のグレゴールがある朝、巨大な虫けらに変身してしまっているところから始まる。グレゴールはある商事会社で外回りの営業を毎日こなす二十代男性、都会シャルロッテ街で両親と妹と共に暮らす。物語はこの家族四人にスポットライトが当てられ、グレゴールだけでなく家族それぞれの変化も細かに描かれている。とりわけ注意を引いたのは十七歳の妹・グレーテの終盤にかけての変わり様だった。ひやりとする女の恐ろしさ、したたかさとでも言おうか、虫になってしまったグレゴールの最良の理解者・支援者であったはずの妹は、最終「これ(グレゴールのこと)をお払い箱にすることを考えるべきなのよ」と言い放ち、途方に暮れる両親にグレゴールを処分することを説くのである。

北川さんの論文を読むことによって、主人公が虫になって存在するという奇妙さをいったん脇にやり、家族の様態に視点を置き、読み返してみることができた。同論文ではアメリカの家族療法家のW. R. ビーバースの家族システム論を用いて物語の解釈が行われている。このビーバースによると現代の家族は九つのタイプに振り分けられ、振り分けの判断基準は、家族間でコミュニケーションがうまくとれているか、開放性が保たれているか、また相互に向けられたの感情の処理がうまく行われているか、などだ。この基準を用いるとグレゴールの家族は、もともと中間レベル(五つの段階のうちの真ん中)の求心型家族に属していたのが、父親の事業の失敗、さらにはグレゴールの変身によって最低水準の重度障害レベルの求心型家族に移り変わり、そうして色々な経緯をへて最終的にはまた中間レベルに戻ると北川さんは論ずる。

最初の「中間レベル」グループは、五段階の真ん中に位置しながらも問題ありとみなされる第一のグループで、家族として制限された発達をしているため、両親と子ども双方の精神に変調がきたされる傾向があり、話し合いを持たず力でねじ伏せるしつけが行われたり、親が異性の子どもを(父が娘を、母が息子を)極端に好んだり、そのため父娘、母息子ペアで感情的癒着が生じたりするというのが特徴である。双方のアンビバレントな感情は片一方を「否定、抑圧、あるいは他者へ投影することによって」紛らわされる。この中でも「求心型」である家族は専制的統制が期待され、専制者への敵意は禁ぜられ思いやりは奨励、「自発性は慎ましく、規則と権威への強い関心」が観察される。

次の「重度障害レベル求心型家族」というのは、コミュニケーションが完全に欠落しているグループで家族としての機能が損なわれている。外部に「強固な、殆ど不浸透な壁」があり、子どもは「正常な筋道を経るべき情緒的発達に於いて、完全に妨げられている」という状態のものである。

これらのことを踏まえて物語を見直してみると、たしかにグレゴールの家族には暴君性の高い父親が存在し、その父親に対して息子が断固たる態度で反逆することもなく、グレゴールは現実を甘受しているようだ。そして所々で多少の反抗心や攻撃的な感情は表しながらも、大きな部分では家族のメンバーの情動に支配され、自分の感情や意志を抑制してしまっている。変身が起こってからは、家族間のコミュニケーションはどこかへ吹き飛んでしまい、グレゴールは周りに翻弄されるばかりである。

父親の酷さは最も顕著に書かれており、グレゴールに直接の危害を加えるのもこの父親である。印象に残るシーンは第一章のステッキでシッシッとグレゴールを部屋に追い返す場面と、第二章の林檎を次々と投げつける場面だ。このシッシッの場面には陰気な滑稽さがあって個人的におもしろいと思ったところで、グレゴリーも、父親のあの「シッシッという我慢ならない声さえなかったら!」と気が狂いそうになっている。林檎の場面では父親は、こんなチャンスを待っていました!と言わんばかりに(北川さんは「グレゴールに対する怒りを解放される機会」と表している)、怒りと悦びをごっちゃまぜにした状態でグレゴリーに林檎を思いっきり投げつける。

その他、地味にひどいのは、この父親自身が事業に失敗して借金をつくったから息子のグレゴールが負債返済のために、好きでもない会社で馬車馬のように働き一家をまかなっているというのに、そのお金を父一人が管理し、貯まったお金が完済できるほどになっていてもグレゴールには黙って、ストレスの溜まる仕事を平気で続けさせているという点である。言ってしまえば、軽度の搾取がこの家で起こっているのだ。

妹・グレーテの変わり様については先に触れたが、グレゴールに対する心情や態度、接し方などが変化したばかりでなく、家族内での妹の地位も変化しているという北川さんの指摘は鋭いと思った。確かに皮肉なことにグレゴールが変身したことによって、妹は今まで、言ってしまえば何の役にも立たないただの子どもという下級位から、働き始め家計に貢献し唯一グレゴールの世話ができるという上級位に昇進している。

この家族は、心優しき従順な子どもである最年長のグレゴールが、いわゆる「生贄」または犠牲になることによってある意味救われたのだろうという見方にも肯かされる。それがラストの明るいほうに持っていきながらも残酷な感じの拭いきれないシーンの救いになっているのかもしれない。

カフカは、こんな風に機能障害の起こってしまっている家族やその中で犠牲になる子どもの不幸や苦悩をテーマにして書こうとしたのではあるまいか。いずれにしても才能のある芸術家というのは書きたいテーマから物事の真相を描き出し、それを受けとる側の私たちはその純粋な芸術的創作に感動し感服し、その作品とそれを生み出した人を愛する。私はカフカが何もかも計算ずくでそれこそ色んな効果を狙い、家族の様態について研究し尽くしてこの物語を書いたとは思えないし、そういう魂胆があからさまに表出していない、純粋で美しく優れた作品を、人は芸術だと直観して認めるのだろう。

 

 

 

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