Japanese and English
Brain Food
quotes from books in the Maplopo library
「ただね、いまだけよ、分る?」
「何が?」
「夏の日の恋、っていうあれ。秋になるとわすれてしまうのよ、そう指切りするんなら、泊るわ」
「あほらして。一々、あくる日まで持ち越してられるかい。まして、秋までなんて、とんでもない」
私は笑った。彼はつづけて、
「その代り、秋になったら、企業コンサルタントになる。企業と生業のちがいを講義したげます」
「もう一度会いたいとかそんいうんじゃない。べつに会いたくなんかないさ。いまさら会っても話すことなんてないしな。ただね、そいつが脇目もふらずネズミを木の塊の中から『取り出している』光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事な風景のひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくためにはそういうものが必要なんだ。言葉ではうまく説明はつかないが意味を持つ風景。俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きていると思われる節がある。俺はそう考える」
「. . . 木の塊を手にとってじっと長いあいだ見ていると、そこにどんなネズミが、どんなかっこうで潜んでいるのが、そいつには見えてくるんだよ。それが見えてくるまでにはけっこう時間がかかった。しかしいったんそれが見えたら、あとは彫刻刀をふるってそのネズミを木の塊から取り出すだけだ。そいつはよく言っていたよ、『ネズミを取り出す』ってな。そして取り出されたそのネズミは、本当に今にも動き出しそうに見えるんだ。そいつはつまり、木の塊の中に閉じ込められていた架空のネズミを開放しつづけていたんだ」
She knew things that nobody had ever told her. For instance, the words of the trees and the wind. She often spoke to falling seeds and said, ‘Ah hope you fall on soft ground,’ because she had heard seeds saying that to each other as they passed.
There is a basin in the mind where words float around on thought and thought on sound and sight. Then there is a depth of thought untouched by words, and deeper still a gulf of formless feeling untouched by thought.
憶えていたにしても、其の償いのつもりならば、当の時計を返してよこせばいいのに、あのウォルサムは一体どうしたのであろうか。いや、あの時計自体よりも、あの時計の事件によって私の心象に残された彼の奸悪さと、今の此の雞の贈り物とをどう調和されて考えればいいのだろう。
She saw a dust-bearing bee sink into the sanctum of a bloom; the thousand sister-calyxes arch to meet the love embrace and the ecstatic shiver of the tree from root to tiniest branch creaming in every blossom and frothing with delight.
Try to realize that this vast judicial organism remains, so to speak, in a state of eternal equilibrium, and that if you change something on your own where you are, you can cut the ground out from under your own feet and fall, while the vast organism easily compensates for the minor disturbance at some other spot—after all, everything is interconnected—and remains unchanged, if not, which is likely, even more resolute, more vigilant, more severe, more malicious.
The only proper approach is to learn to accept existing conditions. Even if it were possible to improve specific details—which, however, is merely an absurd superstition—one would have at best achieved something for future cases, while in the process damaging oneself immeasurably by having attracted the attention of an always vengeful bureaucracy.
日本語には、このような情意的な副詞が極度に発達しており、心理の屈折する肝心なところには必ずといっていいほど現れる。語彙も多い。そのため、それらに共通の発想機構を念頭に置いて、各語の背後に流れる表現者の心理をそのつど確実に読み取っていかなければ、正しい理解には到達しないであろう。
No language or variety of a language (called a dialect) is superior to any other in a linguistic sense. Every grammar is equally complex, logical, and capable of producing an infinite set of sentences to express any thought. If something can be expressed in one language or one dialect, it can be expressed in any other language or dialect. It might involve different means and different words, but it can be expressed.
過去の自分が感じたこと、考えたことを全部くまなく覚えている人は、この世に一人もいない。子供時代に限らず、昨日のことでさえ、何を覚えているか、何を隠したかったか、何を勘違いしているか——考えつめていくその先に、自分の心を解くカギがある。特に勘違いの記憶の場合、自ら歪めようとした、歪めざるをえなかった心の秘密が潜んでいるかもしれない。
Languages are not always logical. All languages have their own peculiarities. Do not think your language is the only and best criterion to judge other languages by.
The possession of language, perhaps more than any other attribute, distinguishes humans from other animals. To understand our humanity, one must understand the nature of language that makes us human.
ただ私が生きるために持ちつづけていなければならないのは、仕事、力への自信であった。だが、自信というものは、崩れる方がその本来の性格で、自信という形では一生涯に何日も心に宿ってくれないものだ。
国彦と多津枝のこの頃の生活は、国境を接して隣りあい、権利、名誉、利害、得失には敏感であっても、干渉や侵略はどちらからもしない二つの国に似ていた。
それから大殿様のおかくれになるときまで、ご親子の間には、まるで二羽の蒼鷹が、たがいに相手をうかがいながら、空を飛びめぐっているような、ちっとのすきもないにらみ合いがずっとつづいておりました。
たとえば大殿様のお心持ちが、あの堀川の御所にうかがわれます通り、若殿様が若王子にお造りになった竜田の院は、ご規模こそ小そうございますが、管相丞のお歌をそのままな、紅葉ばかりのお庭と申し、そのお庭を縫っている清らかなひとすじの流れと申し、あるいはまたその流れへおはなしになった、何羽とも知れない白鷺と申し、一つとして若殿様のおくゆかしい思し召しのほどが、あらわれていないものはございません。
私の脳の中に、現実を作り替えようとする機能みたいなものが生じていていて、それがある特定のニュースだけを選択し、そこにすっぽりと黒い布をかけ、私の目に触れないように、記憶に残らないようにしてしまっているのかもしれない。
彼女はサダト大統領の頭の禿げ方がけっこう気に入っていたし、宗教がらみの原理主義者たちに対しては、一貫して強い嫌悪感を抱いていたからだ。そういった連中の偏狭な世界観や、思い上がった優越感や、他人に対する無神経な押しつけのことを考えただけで、怒りがこみ上げてくる。
チャールズとダイアナが結婚式をあげたことを青豆はもちろん知っていた。しかしそれについてとりたてて興味は持たなかった。世間の人々が英国の皇太子や皇太子妃の運命に対して、どうしてそんなに深い関心を持たなくてはならないのか、青豆にはまったく理解できなかった。チャールズは外見からいえば、皇太子というよりは、胃腸に問題を抱えた物理の教師みたいに見えた。
「そなたが避けることのできない罪業の報いによって、もし戒律を破って妻を娶ることがあるならば、私が玉女身となってそなたの妻になりましょう。そしてあなたの一生涯を美しく荘厳して、臨終にはあなたを浄土に送りとどけましょう。これが私の誓願です」
「少数の人の側に入ってしまうと、面倒なことばかり考えなくちゃならなくなる」
「そういうことね」と憂鬱そうな声で彼女は言った。「でもそういう環境にいれば少なくとも、自分の頭が使えるようになるかもしれない」
殿様が、御自分の腕前に確乎不動の自信を持っていたならば、なんの異変も起こらず、すべてが平和であったのかも知れぬが、古来、天才は自分の真価を知ること甚だうといものだそうである。自分の力が信じられぬ。そこに天才の煩悶と、深い祈りがあるのであろうが、僕は俗人の凡才だから、その辺のことは正確に説明できない。
オー・ヘンリーの短篇集をねるまへによむ。旨い。短編はこれで行かなければいけない。
このまま死んでは、作家としてなんと見すぼらしいだろう。これだけ書いておけば、せめて一人前だと安心の出来るものを書いて死ななければならない。それがいかにむづかしいかは分かっているが——毎日なにか書くことで収入を望む生活も私には苦しい。
私はそのころから、有名な作家などにならなくともよい、どうにでもなれ、と考えた。元々私は、文学の始めから、落伍者の文学を考えていた。それは青年の、むしろ気鋭な衒気ですらあったけれども、やっぱり、虚無的なものではあった。
要するに、私は自分の心情に従順ではなかったのである、本心とウラハラなことをせざるを得なくなる。それが私の性格的な遊びのようなもので、自虐的のようでもあるが、要するに、遊びだ。
“Oh, botheration!” returned Sydney, with a lighter and more good-humoured laugh. “don’t you be moral!”
“How have I done what I have done?” said Stryver; “how do I do what I do?”
“Partly through paying me to help you, I suppose. But it’s not worth your while to apostrophise me, or the air, about it; what you want to do, you do. You were always in the front rank, and I was always behind.”
“I had to get into the front rank; I was not born there, was I?”
“I was not present at the ceremony; but my opinion is you were,” said Carton.
人間というのは善ばかりで生きていけるわけにはいかないでしょう。どんな人であっても、このような娑婆で生きている限り、善ばかりで生きているわけがないのです。それなら悪いばかりで生きていけるかというと、そうでもないのです。悪いばかりで、この世を生きられますか。
もう一つは一切は空(言葉に対応する実体は無い)であるとさとって、何のとらわれもない行動を行っていくことを善といい、自分にとらわれるか、人にとらわれるか、ものにとらわれるか、とにかくとらわれた行動はすべて悪であるという。こういう善悪の定義も言われています。
Just then a gramophone that had served its time in better sections of the city began to murder a tune.
そういうことが起こりそうな者に、そういうことが起こり、そういうことが起こりそうなときに、そういうことが起こるんだな。半年前の俺だったら、今のようなおかしな夢なんか見るはずはなかったんだがな。・・・・・・今の夢の中の菩薩の言葉だって、考えてみりゃ、女偊氏や虯髯鮎子の言葉と、ちっとも違ってやしないんだが、今夜はひどく身にこたえるのは、どうも変だぞ。
彼らはいずれも自己の性向、世界観に絶対に固執していて、他との討論の結果、より高い結論に達するなどということを知らなかった。他人の考えの筋道を辿るにはあまりに自己の特徴が著しく伸長しすぎていたからである。
君が本来書くべきものは、君の中にしっかりあるはずなんだ。ところがそいつが、深い穴に逃げ込んだ臆病な小動物みたいに、なかなか外に出てこない。穴の奥に潜んでいることはわかっているんだ。しかし外に出てこないことには捕まえようがない。時間をかければいいと俺が言うのは、そういう意味だよ
俺が望んでいるのは、文壇をコケにすることだよ。うす暗い穴ぐらにうじゃうじゃ集まって、お世辞を言い合ったり、傷口を舐めあったり、お互いの足を引っ張り合ったりしながら、その一方で文学の使命がどうこうなんて偉そうなことをほざいているしょうもない連中を、思い切り笑い飛ばしてやりたい。
「いや、もうよろしい。あんたはまだ降りないのですか」
と警官は鉾先きを、あみ棚へむけた。
「えげつないね。あんたは、僕を荷物だと思ったらええやないの。そう思うだけやないの。えげつない、非民主的なんやな」
「どうしても降りて来ないつもりなら、荷物と見なして、本官はピストルを打つ、本官はそういう権限を与えられているからね」
「へいへい、そんなら降りますわ、こわい人やな。高尚な荷物やでな」
口という扉からはいる、もうそれっきり何もなくなってしまう、何という無駄なことだ、誰がいいことをするのか、胃袋か。そして人間は生きているという。この人間が生きているということで、誰が喜ぶか。誰も喜びゃしない。このように消えてなくなってしまう食糧のために——この女だって、そう大して生きていたくもなさそうだ。
こういう仕事は体によくありませんよ、岡田さん。いいわけないです。こんな風に生きていると知らず知らずのうちに性格が回りくどくなってきます。わかりますか、岡田さん?人間が疑り深くなり、いつも裏の裏を見るようになるんです。単純明快なものが信用できなくなってくるんです。困ったことですね、実に。
京子はどこへも働きに出ないで、家事をしているようである。えり子は時折り、(なんであたしが一生けんめい働いて、あの家族を養なわんならんねん)と思うときもあるが、それで秀夫との生活を買っていると思うと、
(高価い買物とはいえない)
と思ったりする。
宇禰のやさしい微笑からは、恋の棺を埋めた人とは見えないだろうと宇禰自身、思われる。しかし宇禰はこの悦楽を先鋭化するために、二度と有二と機会を持とうとは思わないのだ。宇禰はそういう決意を匕首のようにかくし持ちながら、微笑んでいる自分の「二重人格」が、いまはいとしく思えている。これこそ、女の生きる喜びだった。
人は捨てられた一方に同情して、捨てた一方を憎むけれども、捨てなければ捨てないために、捨てられた方と同価の苦痛を忍ばねばならないので、なべて失恋と得恋は苦痛において同価のものだと私は考えている。
「多かれ少なかれそういう感じって誰にでもあるものだよ」と僕は言った。「みんな自分を表現しようとして、でも正確に表現できなくてそれでイライラするんだ」
おいキズキ、ここはひどい世界だよ、と僕は思った。こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ。
「やみくろのやつがこっちにまぎれこんだような形跡があったんで心配になって、あんたをここまで迎えにきたですよ。本当なら奴らはこっちまで絶対に来んのですが、たまにそういうこともあってね、困るですよ」と男は言った。
「やみくろ……」と私は言った。
ほんとうは、まず、このことのほうを先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業のほうを気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。
「迷路」はまた書き直しをはじめました。それについての御忠言は十分に理解いたされますが、たださうなりますともう最初からすっかり書き改めなければなりません。たとへばあの主人公の今日までのコースは、ああならなければならないデータを積み重ねたものでございますので、最後にべつな人間に致すのは性格描写に大きな錯誤を生ずる事になります。私があれはもう致し方がないと申すのはそのわけでございます。
散歩と申しませば私は東京ではほとんど致しませんのですが、先日の夕方へんな気紛れでひとり晩食まへに近くのしづかな通りを一と周りいたしました。もう人顔もおぼろな頃で、西の空には広重の版画めいた夕焼けがあり、家々の庭木が黒く茂ってをりますのがそれとの対照で中々美しうございます。その家々にはもう灯がついていて、障子の窓に内側の人の影がかっきり映ったり致してをりますのを眺めまして、私はふとリルケの詩をおもひおこしました。
いまの私は先生なしには精神的に生きえないものになってをります事は、改めて申し上げますまでもなく御分かりくださっていられますかと存じます。ただ私の無知識と非才が折角の賜物を無にいたし過ぎますことが多々であるのが嘆かれます。しかし学ぶことは死ぬまでの事業と存じてをりますから、絶望いたさずいつまでも先生のあとに従って参りたく存じます。
戦争が資本主義の避けがたい現象である意味において、彼とて同じ経済機構の犠牲にほかならないが、また思えば、多津枝にしろ、せつにしろ、小田にしろ、この二三年間に失った親しいものは、それぞれに違った悩みをもち、それぞれに違った場所で、それぞれに違った死を遂げたとはいえ、どこかで戦争につながっていないものはない。
御息所は自分の美しさを十分知っていたが、こういう人のつねで、自分の高位と美しさを無価値なものに扱ってくれる力に惹かれる傾きがあった。
あの老僧は一旦浮世を捨てた。彼は公卿たちよりもはるかに男だったのだ。そうして浮世を捨てたように、彼は今度は、御息所のために来世をも捨てるであろう。
こんな孤独な恋は、ついには自分をだますまでに、ふしぎな手管を編み出すもので、ようやく御息所に逢いに行こうという決心がついたときは、上人自信は、この身を灼くような病から半ば治った気でいたのであった。
しかし、それがなにか。うまれぬさきの世からうまくつくれるにきまった歌を、どうしてこの世のかぎりつくりつづけなくてはならぬのか。
「男よ。名は何という」
「平太」
「平太よ。ここにひとりで住むのか」
「そうじゃ」
「何のために」
「念願がある」
「念願とは」
「ほとけを彫る」
「ほとけ」
此方がこの通りつまらぬ活計をしていれば、御前の縁にすがって聟のたすけを受けもするかと他人様の処思が口惜しく、痩せ我慢では無けれど交際だけは御身分相応に尽して、平常は逢いたい娘の顔も見ずにいまする、それをば何の馬鹿馬鹿しい親なし子でも拾って行ったように大層らしい
得て世間に褒め物の敏腕家などと言はれるは極めて恐ろしい我まま物、外では知らぬ顔に切って廻せど勤め向きの不平などまで家内へ帰って当りちらされる、的に成っては随分つらい事もあろう、なれどもあれほどの良人を持つ身のつとめ、区役所がよひの腰弁当が釜の下を焚きつけてくれるのとは格が違う
秀吉が一種えたいの知れない気おくれに捉えられるのは、この瞬間である。自分の輝きが急にきえ、影のうすい、見すぼらしいものになった気がする。そこにただ黙って坐っているものから来る、抵抗しがたい威圧であった。
山下蕭雨は一番はじめにきいた。
「いったいどんな学校にあなたははいりたいのですか」
加根は学校で答えるような答え方をした。
「どんな学校でも、勉強のできるところならいいのです」
ふだん着でジェノワに迎えにきてくれたマリアは、レジスタンスもふだん着のままで闘い、そのまま日本にもふだん着でやって来た。それは、日本という「みせもの」を見にきたのではなくて、ふだん着の私という人間に会いに来てくれたのだ。それはそれで一貫性のある行動で、いかにもマリアらしかった。
「我」はみじめに踏みつぶされたが、修史という仕事の意義は疑えなかった。このような浅ましい身と成り果て、自信も自恃も失いつくしたのち、それでもなお世にながらえてこの仕事に従うということは、どう考えても楽しいわけではなかった。それはほとんど、いかにいとわしくとも最後までその関係を絶つことの許されない人間同士のような宿命的な因縁に近いものと、彼自身には感じられた。
漢の人間が二言めには、己が国を礼儀の国といい、匈奴の行いをもって禽獣に近いと看做すことを難じて、単于は言った。漢人のいう礼儀とは何ぞ?醜いことを表面だけ美しく飾り立てる虚飾の謂ではないか。利を好み人を妬むこと、漢人と胡人といずれかはなはだしき?色に耽り財を貪ること、またいずれかはなはなだしき?表べを剥ぎ去れば畢竟なんらの違いはないはず。ただ漢人はこれをごまかし飾ることを知り、われわれはそれを知らぬだけだ、と。
私は、犬については自信がある。いつの日か、必ず喰いつかれるであろうという自信である。
先生は本を膝の上においた。ひらいたままおいたので、西山篤子という名刺が、まだ頁のまん中にのっている。が、先生の心にあるものは、もうあの婦人ではない。そうかといって、奥さんでもなければ日本の文明でもない。それらの平穏な調和を破ろうとする、えたいのしれない何物かである。