Eighteen (Part Three)
18
——前回からの続き
私たち家族は夕食を終え、自分の息子が明日異国の地へ旅立つという直前の晩に、この場に居合わせることのできなかった父のため、母は食べものを少しだけよけてからテーブルを片付け始めていた。父は今日どうしても抜けられない大事な顧客との会食があった。右手の窓のベージュのカーテンの縁を、ぼんやりと見つめたままの私の目の前では、さっきまで私の隣に座っていた兄が父の席に移動して、自分で割って作ったウイスキーコークを少しずつ飲んでいた。切り込みが入って口の広いそのグラスが傾く度に、中の球形の氷がカラン、カランと鳴った。飼い犬のマッキントッシュがむくっと立ち上がって給水器まで水を飲みに行った。いつもの平凡な夜の時間が今夜も同じように流れていく。違うのは目に見えない各々の思いだ。私は正直言ってまだ、事態をちゃんと捉えようとしていない。どうしたらいいのだろう。明日から、この兄がいない自分の生活はどうなるのだろう。私の軸をすべてをここに預けていたのに、それが急に取り払われてしまう。でもそれについて文句を言える道理はないし、私はただ現状を呆然と眺めていくしかない。
手元にさっき淹れたペパーミントのお茶があったので私はそれをとって少し飲み、兄に話しかけた。「もう明日の準備、全部できてんの?」
「大体な」
「飛行機乗ってる時間ってどれくらいやったっけ」
「乗り継ぎ一回して十三時間」
「なっが」人生で飛行機にまだ一度も乗ったことのない私には考えられない長さだった。
「ちょお悪い、煙草吸うで」
兄は断ってから、ラッキーストライクの箱とライターをポケットから出し、ガスレンジの方へ向かって歩いていった。今日はライトブルーのアイリッシュリネンと、青緑色にきれいに色落ちした、兄のジーンズ・コレクションの中でも私の一番好きなジーンズだ。換気扇を回し、前方の小さな窓を網戸だけ残して全開にし「おかん、悪いなちょっと吸うで」と、隣の流しでカチャカチャと食器をゆすいで一つ一つ食浄機に入れている母にも律儀に断って、吸い始めた。私たちの母は身長が百五十三センチしかないので兄と横に並ぶと、文字通り巨人と小人の絵画を見ているようになる。食器をカチャカチャいわせている母の背中は少しだけ丸まっている。私はもう一度熱いお茶を口に含めた。
煙草の匂い——それを嫌いでない理由は、煙草は私の中では家族の匂いで、父と兄を連想させるからだ。父と兄はよく夕食の後、居間のソファーに座って何か洋酒の入ったグラスを片手に持ちながら、もう酔いがいい感じに回っているのでわざわざ立ち上がって、換気扇の下で煙草を吸うような気遣いはせず、お互いの話がこの世で一番面白いというような身の入れ方で、話に花を咲かせていた。それは心がぽっと温かくなるような好ましい光景だった。その場を通り過ぎていくたび、私もそこへ何か気の利いた貢献ができたらいいのに、と羨望の眼差しを向けたものだ。
「今日安楽寺の御院さんとこ、旅立ちの前の挨拶に行ってきたんやけどな、えらい励ましの言葉もらったわ。頑張ってこいよ、たくさん、色んなもん見て来いよって」テーブルに戻ってきた兄が安楽寺の泰英さんのことを話題にした。
「お兄ちゃんあの御院さんにやたら気に入られてたもんな。言うたん、アメリカで宗教の勉強もっとするんやって」
「言うたよ」
兄のアメリカ留学に関して、泰栄さんは少なからず兄に影響を与えている。生命力漲る自由奔放な泰栄さんは、実は若い頃アメリカに渡って、仏教を布教するという夢があったらしい。兄はその話にすごく感銘を受けていた。
そしてもう一人、兄のアメリカ留学を夢物語だけに終わらせず実現可能にした、大の貢献者がいる。その人はジョンさんという名前で、私たちの家から坂を五分ほどくだった角のところに立派な三階建ての戸建を構え、日本人の奥さんと小学生の娘さんとで暮らすアイリッシュ系アメリカ人だ。ジョンさんは確か来月の誕生日で五十二歳になるはずだ。兄にしたら父ほどの年齢の人だが、現在の兄にはジョンさんが一番親しい友人、兼世話人と言える。ジョンさんはロッキーという一目には狼のような真っ白のシベリアンハスキーを飼っていて、私たちのマッキントッシュの散歩中、兄とジョンさんとが挨拶を交わすようになったのが交流のきっかけだった。実を言うと、九十八パーセントくらい、ジョンさんのおかげで兄のアメリカ留学志望がちょっとしたジョークで終わらずに済んだのだ。
ジョンさんはアメリカにいた頃、留学生アドバイザーとして、名前は忘れたが東海岸のそこそこ有名な大学で働いていた。なので煩雑な出願関係の手続きにも、ものすごく詳しかった。まず兄の学びたいことを、まるで自分の息子かのように親身になって聞いてくれ、ジョンさんの出身地ニュージャージー州の中で、意欲に満ち優秀な兄に相応しい大学をピックアップしてくれた。そこからは早かった。ジョンさんと兄はまるで刑事ドラマの息の合った相棒のように見事な二人三脚で、願書、エッセイ、TOEFLのテストスコア…等々、大学が必要としている書類等の準備を鬼のようなスピードと効率の良さで、てきぱきと進めて行った。献身的なジョンさんはカウンセラーとしてだけでなくチューターとしても兄の力になってくれた。一年前の大学受験勉強で、兄が大量に詰め込んだ英単語や英文法はまだ記憶に新しかったとは言え、ジョンさんの熱の入った懇親的レッスンのおかげで、兄は驚異的なスピードで目標のTOEFLスコアを獲得した。本当に私なんかが、あーっと言っている間にすべての事が首尾よく済んでしまった。出願した大学からは合格通知が無事届き、ニュージャージーでの兄の滞在先は大学から車で二十分ほどのところのジョンさんの弟さん家庭に決まった。出願準備の時期にはそれこそ毎日のようにジョンさん宅に通っていた兄だが、無事合格が決まった後でも、ほんの最近まで週に二、三回そこに行っていた。しかし今度はアルバイトとしてだ。というのも、兄の優れたパソコンスキルとあらゆるセンスの良さを見抜いたジョンさんが、自分の事業の助っ人として兄を雇用したからだ。兄はジョンさんの自宅のオフィスでその間、翻訳やWEBデザインなどを手伝っていた。
「ジョンさんとは?お別れの挨拶した?」会話のところどころにジョークを入れてくる、この底抜けに明るいアメリカ人のことを思い出して私はたずねた。
「昨日。でもジョンとはメールでつながってるし、ジョンも年に何回かアメリカ行ってるから向こうでもまた会うやろ。それよりも琴子ちゃんがめちゃめちゃ泣いとったわ」兄は、本当にめちゃめちゃ泣いていたであろう琴子ちゃんのことを自分の心のスクリーンに再び映し出している様子で、泣かせた張本人として責任深そうに言った。
「そうやろうなあ。お兄ちゃんに大恋愛してたからなあ。可愛そうに」
ジョンさんの一人娘で小学五年生になる琴子ちゃんは、九つも歳の離れた兄に(彼女にしたらおっさんと呼んでもいいはず)大真面目に恋をしていた。今年のバレンタインには、愛する人のため琴子ちゃんがせっせと手作りした、とんでもなく大量のチョコレートを兄は苦笑いしながら持って帰ってきた。私は、たった今口にした、「お兄ちゃんに大恋愛」という言葉をもう一度頭の中で繰り返して、自分にも当てはめてみた。私のは「恋愛」とは違う。私は兄に対し何かもっと複雑で、深遠で、言葉では言い表しようのない、ただの「好き」には収まらない、ひどく込み入った感情を持っている。私は兄に憧れている。兄のようになりたいと願って、自分が兄になったことを想像することだってしょっちゅうだ。しかし同時に、兄にめちゃくちゃ嫉妬もしている。同じ兄弟であるのに、好いところだけを兄が全部持っていって、自分は兄の残りかすのような感じがするからだ。それでも私には兄がいるから、十八年間こうやって生きてこられた。何かすごくつらくて悲しくて落ち込むことがあっても、兄の存在がヌメりの中に引きずり込まれていきそうな私を食い止め、持ち上げてくれた。「いいわ、私にはお兄ちゃんがいる」——それが私が自分自身と交わす合言葉だ。
ずいぶんと長い間、私は自分の容姿に自信がなかった。特に髪の毛は大きなコンプレックスだった。私の髪は恐ろしくクセ毛の上、量が半端なしに多く、美容院では剥いても剥いても、まだ減らないという有様で、おまけに色に関して言えば、カラスでさえも恐れ入りひれ伏してしまいそうな、黒中の黒だ。それによって私の頭は異様に大きく見えてしまい、小学校では「あたま」と呼ばれていた。子供心にどんなに傷ついたかご想像いただけるだろう。今は縮毛矯正という美容界の栄えある技術のおかげで私のあたま問題は解決されたにしろ、傷ついた幼心はなかなか癒せない。私はそんな時、兄を頼りにした。どんなにからかわれても、兄がいるというのが誇りで、それが支えとなっていた。兄の存在は逞しい一基の塔だ。兄はいつも私を精神的に支えてくれ、私の褒められるところは何でも惜しまず褒めてくれた。ゆらはずっと変わらず、お兄ちゃんのかわいいゆらでそれは永遠のはず。そう思って私は生きてきた。
小さかった頃、兄はよく私に本を読んでくれた。家には「図書室」と呼ばれる四面の壁が本棚で覆われている部屋があり、本棚の上の段は父と母の本、下の段は兄と私の本が仕舞われていた。そこから気に入った本をとって、ふかふかの柔らかいクッションを部屋の真ん中に置いて、座って読む。それは日曜学校の前、それか日曜日の夕食の始まる時間の前によく行われた。私がいつも頼むのだ。お兄ちゃん御本読んで、と。それは何百回と私の口から発せられたが、それに対して兄が駄目と言うことはついに一度もなかった。兄が中学に進学したのを境に、二人の本読み儀式は自然消滅してしまったが、私はあの時間を心底懐かしく、恋しく思う。兄は滑舌よく、いつも役を演じながら読んでくれた。兄の口から流れてくる声に魅了され、繰り広げられる物語の中に私はどっぷりと入っていく。父と母が共通して特に好いている作家は中勘助だ。とりわけ中勘助の『銀の匙』は両親のお気に入りで、私でも手の届く中の段に置かれていた。ある日それを手に取り、これ読んでとお願いした。兄と私は間もなくこの『銀の匙』の世界に魅了されていった。「この本、なんやめっちゃええな」興奮しながら二人とも分かったような顔で見合った。でも読み進めていくうちに、小学生の頭では難しくて分からない言葉がたくさん出てくるようになった。「お兄ちゃん、普請ってどういう意味なん?」「理非曲直ってどういう意味」「瞞着って何」私は遠慮なく兄の進行を妨げた。「おお、これはな、これこれこういう意味や」と説明してくれる時もあったが、兄にも分からない言葉が出てきた。「わからへん……」兄は正直にそう言うと立ち上がり、本棚の上の段から、分厚い黄色の国語辞典をよいしょとつかみ出して、調べてくれた。それからは二人の前には常に黄色の辞典が置かれるようになった。辞書を引くのは私の仕事だった。おかげで私は学年一の字引クイーンとなり、誰一人としてわたしのスピードには敵わなかった。私は名人級だった。もし全国字引大会なんてものが存在したなら私はかなりいい線をいけたかもしれない。字引だけは、私が心から誇れる数少ない特技だ。しかし私がしょっちゅう言葉を拾うせいで、兄と私の物語を読み進めるスピードは年のいった亀の歩みとなったのだが。それでも、二人ともこの時間をとても大切にしていたと思う。
続く——
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Reiko Kane
Author and
Co-Founder, Maplopo