Eighteen (Part Four)
This is the forth part of a story I wrote about a day in the life of an eighteen-year-old highschool girl and the older brother she loves so much. If you missed Part One, Part Two, or Part Three, visit those links!
18
——前回からの続き
母が食器を片付け終わってテーブルの方へやってきた。
「はい、そしたら今からお母さん先にお風呂もらうわ。あんた明日何時にここ出んの。そんな飲んでええんか」ちょうどグラスの残りのウイスキーコークを飲み干して、さらに新しいのを注ごうとしている兄に向かって母が聞いた。
「十時半。まだ全然飲んでへんわ。まったく大丈夫やわい」兄はご機嫌だった。
「ゆらちゃん、ちゃんとお兄ちゃんのこと見といてや。この子は放っといたら底なしに飲むからな」母が眉を寄せて私に言った。
「ふっ。底なして。そんな飲まへんやろ。大丈夫、ちゃんと見とくから」私は笑ってこたえた。
母は「ほな」と言ってテーブルから離れ、居間を抜け廊下へ出て、お風呂場の方へ消えていった。
「お父さん、今日何時に帰ってくるんかな。ほんまに間悪いなあ。自分の息子がアメリカに出発するその前の晩に、変な約束入ってしまうなんて。終電に間に合うやろか」父のことが気になって私は独り言のように言った。
「あの人は、そういう人やからな」兄が小さく呟いた。それにつられて私は兄に視線を戻し、兄の表情を注意深く観察した。兄は野生動物のような目でテーブルの中央の、ある一点を見つめていた。
「お兄ちゃん」
「なに?」
「私もそれちょっと飲ませて」私は兄のグラスを指して言った。
「は?これ?」手にしてるグラスを見せて、驚いたように兄は聞き返した。
「そう。おいしそうやから。飲んでみたいねん」
「ええけど、知らんぞ。後でおかんに怒られんぞ」
「ええのよ」
私はもうお上品にペパーミントのお茶なんかでなく、もっと現実的な、何か弾力のあるものが欲しかった。明日から、兄がいなくなるという現実と向き合いたくなくて、別の方向を向いてぴょんぴょんと跳ねていられるような、もっともっと強いものが欲しかった。実を言うと私は、まあまあいける口である。もちろん飲むといっても特別な時だけに限られていて、ジュースのような甘い酎ハイしか飲まないが、どんなに飲んでも変に酔ったりしないし、顔も赤くならない。すこぶる陽気に、よく喋るようになるだけだ。そういう家系なのだろう。母以外は親戚も含めみんなお酒に強い。
私は兄の手元の、重量感ある口の広いグラスを引ったくり、ぐいっと一口いった。コーラの甘さと、ウイスキーの全然甘くない、口の中をじゅわーっと燃やすようなアルコール独特の強さに一瞬ひるんだが、そこまで悪くなかった。傾いたグラスを戻すとまた氷がカランと音をたてた。
「ゆらが酒飲んでんの見るとあん時のこと思い出すな」兄がおもしろそうに言った。
「いつよ」
「お前が、たきお君かたけお君かに振られたって泣いて泣いて、俺が話聞いてやった時の」
完全に忘れ去っていた人のことを兄がぶり返してきた。「たかお君や。あんなん、もうええわ。あほらしい」
私は高二の時、初めてできた彼氏がいた。同じクラスのたかお君という子で、クラスの二回目の席替えの後、たかお君は私の前に座った。それから毎日話をするようになり、たかお君が音楽好き、特に外国のバンドのファンだったので、私は兄から仕入れた知識で、ピンク・フロイドやレッド・ツェッペリンなどをよく話題にした。それから一カ月くらいたって、一体私の何を好きになったのか知らないが、ある日突然告白され、びっくりした。たかお君とは話をしていてもまあまあおもしろく、いわゆる今どきの子で、別段断る理由が見つからなかったし、まあいいか、どんなもんか、彼氏を持つというのは、という好奇心で、でも実はほんの少しだけ、こっそりと心の中で浮かれて、たかお君と付き合ってみることにした。
しかし付き合って四、五ヶ月目くらいから何だか様子がおかしくなっていった。それでも私は妙な感じがするのを特に気にしないようにして、普段どおり振舞っていたのだが、ある日、理香子が向こうからすごい勢いで走り寄って来て、私の肩をがっしりとつかみ「ゆら!たかお君は、あかん!あいつは、あの男は、麗奈ちゃんにも二股かけてるらしいで!」と、息を切らして一気に言った。私には信じられなかった。よりによって、クラスでもほどほどに仲のいい麗奈ちゃんとは!しかも麗奈ちゃんは少し前に、お泊り会で家に遊びに来たばかりではないか。徐々に、事態が明らかになり、どうやら噂は本当らしいと、もうごまかしきれなくなった時、私は正式にたかお君に振られた。たかお君は「ごめん麗奈ちゃんの方が好きやから」とはっきり言った。目の前が真っ暗になった。何も大恋愛をしていたわけではない。たかお君と付き合った半年間、気が狂いそうなほど、好きで好きで堪らないと感じたことは、一度も、一ミリたりともなかった。
私は、たかお君が何をするにもいつも彼と兄とを比べていた。どうしようもなかった。横に並んで一緒に駅まで歩くときも、パン屋さんでシナモンロールを買って店内のテーブルに向かい合わせに座ってお喋りするときも、レコードショップでかっこいいCDジャケットを見て回るときも、いつも兄が頭の中にあった。兄だったら自分で率先してこれをやってくれるだろうな、兄だったらここでこんなこと言うだろうな、兄だったら、今私の言ったことめちゃめちゃ笑っただろうな、と頭の中でひたすら「兄だったら…」を連発していた。兄に勝ち目のないたかお君はいつも不利な状況にいた。
今思うと、付き合っていたとき私は彼に対して冷ややかだったと思う。というより、彼の人間性に対する評価が、冷ややかだった。たかお君は常に周りの価値観に左右されている。周りが認めているものを「いいもの」と決めて、自分も同じようにそれを好きになる。雑誌はそれこそファッションのもの、インテリアのもの、音楽のもの、と月に七~八冊くらい買って、例えばある雑誌の最新号が、「男性は白のパンツが必需品!」「バンドカラーのシャツでモテる男を演出!」「ミリタリー柄のアウターを羽織ればイケメン度が一気にアップ!」云々書いていれば、たかお君はそういうのを逐一取り入れる。世間一般ではそういう人を、ある意味「おしゃれ」というのかもしれないが、じゃあ、火事か地震かで雑誌が全部燃えてなくなってしまったら、この人は一体何を着て出掛けるのだろう、と疑問に思うこともある。たかお君は自分を持っていない。自分が好きと思って買っている服や音楽は、みな誰かがどこかでいいと言ったものばかりだ。自分の意思を持たず人の真似ばかりする、という点では私も人のことを言えない。私だって兄に頼りきって兄の選ぶものばかり選んでいる、ただの真似し猿だからだ。でも私の真似しているのは私の兄だ。十八年間一緒に育ってきて、私が最も尊敬し信頼している、私のお兄ちゃんだ。人からどんなに「お前は自分を持っていない」と言われようが、たかお君の、どこの誰がどんな目的をもって何を基準に勧めているかも分からないものを、盲信して選んでいるのとは違う。私はそんなことは絶対にしない。
たかお君に振られたことで、私がこれほど混乱し悲しみのどん底に落ちてしまった原因は、たかお君を失ったということではなく、たかお君が麗奈ちゃんをより優れたものとして選んだということだった。それが何よりも一番こたえた。そしてそれは小学生の頃を思い出させた。私が「あたま」と呼ばれ、かわいい子たちで集まるグループに入れてもらえなかった頃のことだ。その子たちは活発で明るくキラキラと弾けるようにきゃーきゃー言って一緒に追いかけっこや隠れん坊をし、お絵かきや折り紙をして遊ぶのに、内向的で地味な私はそこには誘ってもらえなかった。悲しかった。なんでだろうと考えた時、それは私がこの子たちよりも劣っているからだ、という結論に行き着いた。私はみんなのようにかわいくないし楽しくもない、だからみんなの遊び相手に選んでもらえないんだ。そんな風に考えて独り寂しく泣いていたときのことを思い出させた。もう十年以上も前のことなのに、それはまだ記憶の片隅に残っていてある拍子に表に出てきてしまう。私は自分でも驚いた。
振られたその夜、私はありったけの思いを兄にぶちまけた。「たかお君は麗奈ちゃんのほうが可愛くて、賢くて、スタイルいいし、話してても楽しいし、ゆらなんかよりも、麗奈ちゃんともっと一緒にいたいってことなんやわ。ゆらなんか何もおもしろくなくて、不細工で、窮屈で、変なことばっか言う子やと思われてたんやわ」私は泣きじゃくり鼻水をたらし、自分をけなしまくっていた。
「誰、麗奈ちゃんて。俺の知ってる子?」人の顔を覚えるのがやたら得意な兄は私にきいた。
私は兄の質問を聞いていなかった。「あの、たかお君な、あの人な、自分とこの自分の部屋一緒に行くやんか。ほんで床にクッション敷いて私がちょっと離れたところ座ってても、いっつも、めっちゃにじり寄ってくんねん。気色悪い。ほんで一緒に宿題とかしてても、すぐに手止めて、私の髪とか肩とか手とか触ってくるし、ほんま気色悪い。ほんで私が、『もーちょっと今この問題解いてる最中なんやけど。今、私の髪とか肩とか手とか触ってこんといて。集中しなさい』って言ったら、一回ムッとされたんよ。ほんまなってないわ」私は相変わらず涙と鼻水をたらしながら訴えた。
「おーおー分かった。たかおはなっとらんな。ほんで、誰やねん、麗奈ちゃんとやらは。一回うち来てる子?」兄は私をなだめながら、我慢強く同じ質問をした。
「来てた。あの子よ、あの子。ちょっと前に、五人くらい家泊まりに来た中にいてたやん。色白で細くて背高い、黒のトレーナー着て茶色のすっとしたスカートはいて、髪の毛ここらへんでちょっと染めてて」私はできるだけ正確に伝えた。
「あー、あの子か。俺に挨拶して、背めっちゃありますねー、何センチですかって聞いてきた子?あれか。あの子な。あの子はあんましよくないな。なんや、一反モメンみたいな子やないか」
「なんよ、一反モメンって」目には涙がいっぱい溜まっていたが「一反モメン」に私は吹き出した。
「お前は一反モメンも知らんのか。ゲゲゲの鬼太郎やないか。水木しげるや。でも、あの子やったら、ゆらのほうが顔かわいいし、ゆらのほうがええ足してるわ。なんと言うても俺の妹やからな」
私は泣くのを止めた。兄のこの「なんと言うても俺の妹やからな」は、兄がよく使う決まり文句だ。照れ隠しなのだろうが、私はそれを聞くたび、ひどく救われた気分になる。兄はこんなふうにありのままの私を受け容れ、守ってくれる。兄は自分の懐にある丸い形をしたシャボン玉のような薄い膜の中に私を入れてくれ、その中で私は安心しきってふわふわと生きていける。兄がこしらえたシャボン玉の居心地の良さに安んじているのだ。自分からそれを破って自分の力で外へ出ていこうとしない限りは、私が「自分を持つ」ことなんて永遠にないだろう。そういえば私は兄に対し、どんなことでも開けっ広げにすべて包み隠さず話すのに、兄は自分の悩みだとか心配事だとかを打ち明けようとはしない。兄はポジティブなことしか私には言ってこない。そして私のことにはうんうんとひたすら耳を傾け、ためになるアドバイスをくれる。
私がたかお君に振られた夜は、次の日が休みだったせいもあり、二人が夜通し、くだらないこと(主に私の愚痴だが)を言い合いながら盛り上がって、その勢いで兄はビール八缶とワインボトル一本、私はグレープフルーツ酎ハイを五缶あけた。更には家にあったチーズやクラッカー、それに母がベルギー旅行のお土産にお料理の先生からもらった高級チョコレートとバタークッキーを私たちはきれいそっくり平らげた。翌朝、寝室から降りてきてキッチンやダイニングテーブルに散乱するすごい量の空き缶を目にした母は、しかも自分が大事にとっておいたベルギーチョコレートとクッキーまで無残に食い荒らされているのに気づき、私たち二人をこっぴどく叱ることとなった。
それを思い出すと、私は急にチョコレートが食べたくなってきた。ストロベリー系のものすごく甘いチョコレートが食べたい。そしてそれと一緒に、兄の作るウイスキーコークを、真ん中が少し丸まった口の広いグラスで飲みたい。私は兄に、自分の分も作ってくれるよう頼んで立ち上がると、てってれてんっと軽くステップを踏みながら、お菓子の入っているキャビネットに向かった。甘い苺のチョコレートを母が買い置きしてくれているのを願いながら、キャビネットの中をがさごそやり始めた。母は私と違ってカカオ95%とかの、もはやチョコレートとはいえない健康一直線のものしか買わないので、望みは薄かった。マッキントッシュはこの間ずっと、居間のソファーの横で体を丸めて眠っていたのに、私のお菓子を探す音を聞きつけると、むくっと起き上がって早速こちらの方へやって来た。
続く——
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Reiko Kane
Author and
Co-Founder, Maplopo